「ストリートライヴ」が本格的にミュージシャン達の活動の場となったのは、「ゆず」が横浜伊勢佐木町で歌いブレイクしてから、つまり90年代の終頃だと思う。
それまでは、度胸試しや練習がわりに道端で歌ってる人、投げ銭目当てで大道芸的に演奏している人、そんな風変わりなごく少数のミュージシャンが駅前や地下道で歌っていた。
しかし、「ゆず」がライヴハウスではなく商店街の一角で定期的に歌いはじめ、100人を超える観衆を集めるまでになり、そのまま全国デビューを果たしたことで、
「ストリートライヴ」はファンを獲得し、自分たちの音楽を世間に発信するための、重要なステージとなったわけだ。
僕も路上ライヴだけで1000人の大ホールを埋めるアーティストを何人か見てきた。
言うまでもなく、許可を得ずにゲリラ的にやるこのストリートライヴは法的にはグレイな位置にあるため、「通報」されるとパトーカー沙汰になったりもする。
「ゆず」以降加熱したストリートライヴシーンでは、バンドの逮捕劇も実際にあった。
「ストリートライヴ」は、ミュージシャン育成の場にもなった。
気に入ったら足を止めて聴くし、興味が失せたら去っていく。
音響機材も簡単なカラオケセット、もしくは生歌(なまうた)、ライヴハウスのように照明もない。
歌の実力だけじゃなく、ライヴの構成や、歌の合間のトーク、MCもかなり重要だ。
これに関しては本当に長けてる人は長けていた!
独特のコツややり方がある。
例えば、あるバンドはずっと演奏を続けず、2曲おきに休むと言う。
休む前に「次の曲で最後になりますが‥」と告げて歌う。
すると立ち止まって見ている人は「次で終わりなら、もう1曲くらい観ておこうか」という気になる。
そして曲が終わったらすかさず話しかけて仲良くなり、ライヴチケットやCDを売る事に成功する。
この「あと1曲」を数回繰り返すというのだ。
こんなの序の口だ、とにかくたくましい。
ただぶらっと外に行き歌って帰ってくるのではない、バンドの重要な「仕事現場」にストリートがなったのだ。
チケットを買って観にきたファンに囲まれたライヴハウスと違って、ストリートでは自分たちは全く何でもない存在だ。
気を惹こうと有名なヒット曲を歌うと、ちょっと人が集まる。
しかし自分のオリジナル曲を歌うと、去っていかれる。
この世の中において、自分の音楽が実際どんな存在なのかを思い知る。
そしてどうすれば去らずに聴いてもらえる歌を歌えるようになるのか、本気で考え努力する。
札幌の路上で歌っていたと言う高橋優も、そんな修行を積み重ねてきたんじゃないだろうか。
ミュージシャンにとって、すごく厳しく、時にはすごく暖かい出会いの場所、それが「ストリートライヴ」なのである。
と、ここまで書いてお気付きの方がいるかもしれない。
ミュージシャンが自分の音楽を発信し、その評価を直に受け取り、技術やプロデュース力を学び磨く場所、それがストリートなんだけど、
実は、そもそもその役割をラジオが果たしていたはずだった。そんな時代があった。
ラジオやライヴハウスなど、本来ミュージシャンたちの主戦場となるべき場所が、その役割を果たせなくなったから、人々は路上に「出て行ってしまったんじゃないかなあ」と考えると、後ろめたくなったりもした。
一頃、ひたすらストリートミュージシャを取材していた時期があったけど、贖罪の気持ちがあったからかもしれない。
舞台は地面、天井は空。
自分の声だけで未来を切り開く、ストリートライヴの真剣勝負を明日ヒカリオ広場で見られますように!
FMはなび 福原尚虎